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家族って、絆って、

家族って、絆って、

またまたご無沙汰してしまいました…

仕事に余裕ができてきたかなーと思った矢先に
気持ちに余裕がなくなるという良くないパターン。
参っちゃいますね。

そんなタイミングで、とある記事を目にして、
えらく心に刺さったのでご紹介します。

さて、その記事というのはこちら。
少し前のもので、ご覧になった方もいらっしゃるかも知れません。

「一度でいいから話してみたい」「おやすみって言う」 小6女児のエッセーに反響続々
(2013.10.31 13:44 産經新聞)

是非全文読んで頂きたいですが、
ひとまずこちらではエッセーのを引用させて頂きます。

森琴音 「わたしの願い」

わたしはしゃべれない歩けない
口がうまくうごかない
手も足も自分の思ったとおりうごいてくれない
一番つらいのはしゃべれないこと
言いたいことは自分の中にたくさんある
でもうまく伝えることができない
先生やお母さんに文字盤を指でさしながら
ちょっとずつ文ができあがっていく感じ
自分の言いたかったことがやっと言葉になっていく
神様が1日だけ魔法をかけて
しゃべれるようにしてくれたら…
家族といっぱいおしゃべりしたい
学校から帰る車をおりてお母さんに
「ただいま!」って言う
「わたし、しゃべれるよ!」って言う
お母さんびっくりして腰をぬかすだろうな
お父さんとお兄ちゃんに電話して
「琴音だよ!早く、帰ってきて♪」って言う
2人ともとんで帰ってくるかな
家族みんながそろったらみんなでゲームをしながらおしゃべりしたい
お母さんだけはゲームがへたやから負けるやろうな
「まあ、まあ、元気出して」ってわたしが言う
魔法がとける前に
家族みんなに
「おやすみ」って言う
それでじゅうぶん

筆者の森琴音さんは、幼少時の急病で重度の後遺症による
麻痺により、言葉を話すことができません。
そんな琴音さんが紡いだ言葉に、
語り尽くせないほどの想いを感じます。

昔誰かの言葉で、
「移動するスピードは即ち、物事の見えるスピードだ」
というのを耳にしたことがありました。
移動するスピードが速い人(せわしない人)は、
それだけゆっくりと物事を見る時間に余裕がない、
というような話だったかと思います。

琴音さんは言葉が話せないので、文字盤を指し示すことにより
ゆっくり、少しずつ意思疎通をすることになります。
そんな琴音さんのスピードで見える世界が、
先のエッセーを産んだように思います。

「それだけでじゅうぶん」と括られた言葉は
「ただいま」や「おやすみ」のようにごく他愛もない、
しかし心の通った会話をする為の言葉だな、と思います。
家族だからこそ、その絆を深める言葉だな、と。

私も最近いい歳になってきたので結婚を意識する瞬間がありますが、
たまに「結婚なんか紙切れ一枚のこと」なんて言葉を耳にします。
しかし、このエッセーを読んで、それが間違いであると強く思いました。

まず絆があり、それが家族を作り、その結果が結婚なのだな、と。

制度として婚姻の形態がありますが、
国がなくなり社会制度としての婚姻がなくなっても、
結婚は結婚なのだな、と思うのです。

例えばこれが同じ「紙切れ一枚」の養子縁組であっても
同じようなことが言えるでしょう。

互いの心のあり方にこそ関係が立脚しているのです。

とりとめもなく書き連ねましたが、
そんな風に思わせてくれる心に響く記事だったな、と思います。

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